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2015年4月19日 (日)

田崎悦子ピアノリサイタル「三大作曲家の遺言」

「Legacy ― the last piano works of Brahms Beethoven Schubert」 と書かれたチラシとともに手元にやってきたリリース。しかも、外部から直接郵送で届いたのではなく、文化部から「よかったら書いてもらえないか」と言って持ってきてくれるなんて、なんと久しぶりだろう。本業の特集案件でどんなに忙しくても絶対に書きたいと思った。

インタビューは外国人記者クラブのレストラン内で行われた。初めてお会いする田崎悦子さんは、私の母と同世代とはとても思えない、タイトミニのスカートにレザー・ジャケットが痩身によくお似合いの素敵な女性だった。

終戦後の東京でピアノを始めた少女は桐朋を卒業して1960年に渡米。ジュリアードでの修業時代のこと、独立した演奏家としてニューヨークでやっていく並大抵でない苦労、でも、素晴らしいチャンスを得て国際的に演奏活動を展開し、「気がついたら30年経っていた」という人生の物語を伺うには1時間のインタビューでは到底足りなかったけれど、こんな方にお会いできただけでも、この仕事をやっていてよかったとつくづく思った。

記事は4月13日のジャパンタイムズに掲載させていただいた。
4月18日土曜の昼下がり。上野の東京文化会館小ホールにて。
シルバーのプリーツが美しいロングドレスにすらりと身を包んだ田崎さんが優雅に現れる。黒のトップスの大胆なホルターネックから露わになった白い肩と背中は、70代とはとても思えない肌艶にして、若い女性には決して出せない気品を湛えた彫像のようだ。舞台に向かって左手の私の席からはピアノに向かう後ろ姿と鍵盤に触れる手とともに、時折、決然と和音を鳴らす前の厳しい横顔や背中の筋肉の動きまでよく見えた。

なんという味わい深い演奏だったろう。およそピアノという楽器が出せる限りの最も美しい音色とやわらかい響きが一音一音絶妙なタッチで紡ぎ出される。高速でミスなく弾けるピアニストはほかにもいるだろう。田崎さんご自身も若かりし頃はそういう演奏をされていたかもしれない。私は残念ながらその時代の生演奏に触れる機会がなかったのだけれど。しかし、そんな次元で云々する演奏ではなかった。何年も前に世を去った偉大な作曲家たちが遺した音楽が時空を超えて今この時の我々に伝えられているのだと感じた。

プログラムに寄せられた田崎さんの文章も味わい深い。

・・・シューベルトの生誕200年とブラームスの没後100年が重なった1997年に「天からの声を聞くかのように『三大作曲家の遺言』のプログラムが内側から沸き起こった」こと。その年、今回と同じプログラムで3回シリーズを東京で行ったが、それは自分にとって「マッターホルンの頂上めがけて登るような険しい挑戦だった」と。そして、3年ほど前のある冬の日、家の前に厳しくも美しく聳える南アルプスの山々を見ていたら、ふとこの3人の「晩年」の年をとっくに越えてしまった自分に気づいた。
「急に言い知れぬいとおしさと熱っぽさが同時に体内にうごめき始めるのを感じ、いいじゃない、登らなくたって。見ているだけで美しいのだから、と思った。ただ共存していたい。今私の心はその気持ちでいっぱいだ。」・・・

ベートーヴェンは、最後の3つのピアノソナタの後で、交響曲の第九などの大作を作曲しているが、ピアノソナタはこれ以降書いていない。昨日演奏されたピアノソナタ30番は1820年、50歳の時に作曲。50歳とは自分の今の年齢と同じだ。次元が違いすぎるとは言え、なにやら親しみを覚えて苦笑する。冒頭、右手と左手が対話するように軽やかに始まり、終楽章のめくるめく変奏曲は、40代以降ほとんど聴力を失った中でも無限に広がるアイデアを次々に試すかのように生気に溢れている。作曲家がアイデアを試しているだけに、きっと弾きづらいところが多々あるのではないかと推測するのだが、田崎さんの演奏はそこをそつなく弾きこなすという風ではなく、一緒に試しているかのような味があり、ベートーヴェンへの深い共感が音に込められていた。

シューベルトは3つのピアノ・ソナタを書き上げた2か月後に31歳の若さで亡くなってしまう。昨日演奏されたピアノソナタ第19番は、死期を悟ったように悲劇的に始まり、実現しなかった夢への憧れや無念さをつらつらと語って、熱に浮かされたように疾走する終楽章では短い人生における喜びも悲しみも走馬灯のように次々と想起され、この世への別れを惜しむように聴こえた。ピアノ曲のみならず、歌曲、室内楽、シンフォニーなど、死の寸前まで「神の指示を受けたかのように」曲を作り続けたシューベルトにはきっともっともっと言いたいことがたくさんあったのだろう。楽譜にならなかった美しい音楽が心のうちに溢れていたに違いない。そんな過剰さを母のように年上の恋人のようにしっかり受け止めて、青年の思いを吐き出させてやるような演奏には、生きることの切なさを感じずにはいられなかった。

そして、ブラームス。この3人の中では最も長く生きた彼が60歳になろうとしていた頃に書いた3つの間奏曲。
「ここまでの孤独とあきらめとやさしさ。ここまで突きつめた孤独感を人間は感じるものなのだろうか。もし、今ブラームスが隣にいたら、彼の限りないやさしさに対して、どう応えたらいいのか私にはわからない」と田崎さんはインタビューの時におっしゃった。
速くて忙しいパッセージはなく、一音一音その響きをゆっくり確かめるように書かれた限りなく美しい曲。田崎さんが一音一音いとおしむように響かせる音色と、音と音の絶妙な間の余韻に心の奥底を揺さぶられ呆然とするばかりだった。

ブラームスの遺作が自分の心にもたらしたものが何なのか、今の私にはまだうまく言葉にできないけれど、これから生きていく上での天の啓示であると思う。人生の後半を行く道程でこの演奏に出会えたことに心から感謝したい。

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