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2009年3月10日 (火)

3.10 10万人のことば

浅草にあるギャラリー・エフは不思議な建物だ。
都営浅草線浅草駅のA5出口上がってすぐ右手に見える小さな看板。
表から見ればレトロな洒落たカフェだが、その奥に
江戸時代の土蔵が鎮座しているとは、誰も気づくまい。
関東大震災も東京大空襲も生き延びてきたその土蔵は、
1997年からギャラリースペースとして使われている。

その場所で、2005年以来毎年3月10日に合わせて、
東京大空襲を現代に伝えるアートパフォーマンスが行われている。
今年は5年目。3月9日と10日に2回ずつ公演が行われた。

手前のカフェ部分で本番を待つお客は限定30名。
4公演合計で120名。たったの120名だと思うと、
なんだか選ばれた観客のような気がしてくる。
まだ、奥の土蔵の扉は堅く閉ざされたまま。

やがて、土蔵の扉が開き、予約順に一人ずつ名前を呼ばれる。
呼ばれたお客は靴を脱いで上がり、土蔵の中に入って行く。
別世界に吸い込まれていく感じ。いつ呼ばれるかとドキドキする。
壁際から詰めて30人が木の床に坐ると、真ん中にかろうじて
畳2枚分ほどのスペースが残る。そこで、鈴木一琥さんが踊るのだ。
観客とぶつかりそうな至近距離である。

照明が消え、蔵の中は漆黒の闇。
目を開けても目を閉じても同じ。もはや視覚は役に立たない。
土蔵の中にいる30人の息遣いは感じられるが、暗闇では心細い。
不安だ。時空を超えていずこへか連れ去られていくようだ。どこへ?
60年前のあの現場へか?それても、死者たちの国へか?

階段の軋む音がする。ギィィッ ギィィッとゆっくり下りてくる。
それは、蔵の上階で控えていたダンサーの鈴木さんに違いないのだが、
上から下りてくるということが何か意味深く感じられる。
何かが私達のところへ下りて来るのだ。

ふっと少しだけ灯りが点いて、目の前にうっすらと人の形が見えた。
目の前にスッと鈴木さんが立っている。

そして、声が聞こえてきた。
それはカワチキララさんが時間をかけて話を聞き、丹念に編集したサウンドアート。
東京大空襲を生き延びて今日まで生き抜いた人達の声だ。
近所のおじいちゃん、おばあちゃんが語る。
幼い頃に聞いた祖父母の寝物語のような温かく優しい声が語る日常は、
大空襲の直前まで、その日その日の人々の暮らしがあったことを伝える。
軍国の時代であろうと、戦況が悪く、物資が乏しく、厳しい暮らしを強いられようと、
人々は毎日働き、冗談も言い、わずかな食料でどうにか食事の支度をした。

3月10日に日付が変わって深夜00:08。空襲警報発令ーー
空襲警報で夜中に起こされることも、戦争末期には珍しくはなかっただろうが、
その夜の空襲が、10万人もの命を奪う大規模な攻撃であろうとは、
布団に入った時点では思いもよらなかっただろう。

ここからひとしきり聞こえてきたのは、異口同音に繰り返されるザーッという擬音。
空から雨あられと焼夷弾が降ってくる。空が真っ赤になって、爆弾が降ってくる。
人々は逃げ惑う。どうなっているのかわからない。生存者の証言である。
焼夷弾攻撃を何とか描写しようとして、ザーッとザーッという声が
次々に重ねられていく。

「そっちへいっちゃダメ!死んじゃうよ!!」
死んじゃうよ!のところでハッとする。鈴木さんの身体の動きがパタッと止まる。
突然の静止と沈黙。そこが生と死の境目だったのだ。
死んじゃうよ!と注意してくれた人が、却って死んでしまったかもしれない。
ほんの紙一重の違いだった。

生き残った人達は、死んでいった人達を見た。肉親も他人も。
無数の死体を見た。人間が燃えているところを見た。
死に行く人々の「ウシガエルのようなウッ…ウッ…という」呻き声を夜通し聴いた。

実際に体験しなければ決してわからないだろう。
60年以上前の出来事を私達はどうやって理解することができるだろうか?

生存者の声は淡々としていて、どちらかと言えば明るい。
内容をよく聴かなければ、単にお年寄りの茶飲み話に聞こえるぐらい。
人々が敢えて語るとき、口から出てくるその言葉は氷山の一角ようなものだ。
人間存在の全てをもって体験したことと、それにまつわる感情のすべての中から
濾過され抽出されたものが言葉という形で表現される。
そうやって発せられた言葉は出来事の重要なエッセンスと言えるだろう。

と同時に、言葉では「語られないもの」が、海面下の氷山の土台のように
人間存在の中に秘められ、無意識の中で蠢いている。
形を与えられないまま、長い年月抱え続けられた思いがある。

サウンドアートとダンスによるパフォーマンスという芸術的な形態に
はたして自分の感性がついていけるのか、観る前は正直言って自信がなかった。
実際に観ても、すべてを適確に理解したかどうかはわからない。
ただ、言葉と肉体とが相補っていることがよく感じられた。

カワチさんが声を素材に表現する部分は氷山の見える部分。
鈴木さんが身体を使って表現する部分は海面下の部分。
人間存在はその全体である。

ひょっとすると生存者自身も気づいていない感情があるかもしれない。
ほとんど穏やかに、ときどき激して、往時を回想して語る言葉は、
それだけでも60年後の私達に大きなインパクトがあるが、
言葉の表層とはまた別のものを身体の動きが表わしている。
語られる言葉と関連はあるが、決して具体的に事物を表わしているのではない。
空襲前の最後の日常のシーンでも、空襲時のシーンでも、
どんな状況であっても生きている人間には必ずつきものの
意識や無意識の流れのようなものが表現されていた気がする。

声がなくなった後、
鈴木さんのダンスだけがしばらく続いた。
床にうずくまり転がる身体。苦悶の表情。
人格の尊厳が脅かされようとしている。
足で床を強く踏み鳴らす音。激しく身体を上下させる動き。
原初の儀式のような祈りが心の奥底に触れ、揺さぶる。

つい先ほどまで普通に生きていた身体が
爆弾を受けて木端微塵になり、業火に焼かれ、
あるいは逃げ惑うさなか、川に飛び込んで白い蝋人形になる。
言葉を話し、感情を宿していた身体が、物言わぬ肉塊と化す。
塊でさえなく痕跡すら残らなかった人もいる。
なぜ今自分は死ななければならないのか?そんなことを考える余裕はあったのか?
どんなに痛かったことか。どんなに苦しかったことか。それを感じる余裕はあったのか?
もっと生きるはずだった。なのに、気がついたら肉体を失っていた。
あともどりできない死者達の魂は背中を向けて立ち去って行った。
漆黒の闇に包まれる。

再び灯りが点くと、鈴木さんがこちらに向き直って立ち、一礼した。

60年以上も前の空襲を
戦後、何不自由なく育った私達は
永遠に理解できないかも知れない。

しかし、あの日をかろうじて生き延びた人々は、
私達にあの日のことを語り得る今日まで生き抜いたのだ。
生き抜いた人々の声からは、犠牲になった人々の声が確かに聴こえた。
そして、鈴木さんの身体は声にならない声を伝える彫像だった。
裸の上半身から迸る玉の汗は命の熱さ。
鈴木さんの身体を借りて、死者達が訴える。
言いたいことがあると。しかし、言葉にならない。
ただ生々しい肉体と慟哭の顔が強烈に目に焼きついた。

土蔵から再び外界に戻った。
戻っても、今日聴いた声と見た姿が何度も蘇ってくる。

自分は今生きている。
しかし、戦争はそれを蹂躙し尽くす。
蹂躙するのも蹂躙されるのも、生きた人間なのだ。

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