2010年2月 9日 (火)

二月大歌舞伎

「歌舞伎座さよなら公演」のチラシやリリースが気になりながらも、
歌舞伎まではフォローしていられないなあと思っていたのだが、
「朋遠方より来る有り」で思いがけず二月大歌舞伎<夜の部>に行ってきた。

年賀状さえ数年途絶えて音信不通になっていた友人達と、
ばったり再会したのは一昨年秋の東京文化会館だった。
確か、ウィーン国立歌劇場の来日公演の時。
見覚えのある着物姿にハッと気づいて声をかけると
その両脇にも懐かしい友人達が。

「あらぁひさしぶり~ こんなところで会うとはねー」
「わざわざ大阪から来たん?」
「うん、そらそうやん。そっちは?」
「まあ、半分仕事みたいなもんやね」
「へーえ、何してんの?」
「いちおう新聞社」
「ふーん」

そんな会話を交わしてからも既に一年半ほど経つが、
今年になってからひょっこり携帯にメールが入った。
「来月、東京にバレエと歌舞伎を観に行くんだけど一緒に行かない?」
今回もまた○○ちゃんと△△さんも一緒の由。
彼女達は関西エリアでバリバリ働いては、こうして一緒に新幹線を駆り、
バレエも歌舞伎もオペラも!めぼしいものは観に来るようだった。すごいなあ。

ダブル受験生を抱え、仕事も忙しいこの時期に歌舞伎にまで手を出すのか?!
一瞬迷ったが・・・、
・息子たちの試験の日程には重なっていない。
・仕事の〆切もこのあたりはまだ大丈夫。
・あと80日あまりで休館して建て替える歌舞伎座を観られるのは今だけ!
・二月は勘三郎と玉三郎と仁左衛門をいっぺんに拝める。
・歌舞伎通の友人達が一緒なので心強い。
・その友人達にも、これを逃すとまた数年会えないかもしれない。

という「総合判断」(?)でGO!の決断を下したのであった。

2月7日(日) <夜の部> 4時半から歌舞伎座にて。

いやいや、行って良かった!
友達に会えたのももちろん嬉しかったが、
歌舞伎の良さにも目覚めそう…!

「西洋かぶれ」ではないつもりだが、日本の伝統文化の素養は非常に貧弱な私。
恥ずかしながら歌舞伎のことはほとんどわからない。
この日がたったの2回目の歌舞伎座。初めて歌舞伎座に入ったのは4年ぐらい前の
坂田藤十郎襲名披露だったが、時間がなくて口上の後すぐ帰ってしまった(残念)。
昨年12月に初めて行った国立劇場で観た「頼朝の死」や「修禅寺物語」は
新歌舞伎だったせいか、いまいちピンとこなかったが、今回は、
なるほど、日本の伝統文化も大したもんだなあと感心したのだった。

歌舞伎もオペラも400年ほどの歴史がある(同じ頃に始まったのが不思議)。
舞台劇であり、人の声と演技、楽器の音、舞台装置、衣装など、諸々動員した
総合芸術であるのも共通だが、洋の東西で発達したそれぞれの文化を
反映しているに違いない。歌舞伎を観ていて感じた違いは・・・

オペラ歌手は、歌唱がメインで演技や踊りはプラスαというか、
演出によってはかなり棒立ちみたいな場合もある代わり、
何と言ってもその「声」は場を圧する特別なものであることが求められる。

そういう意味では歌舞伎役者は歌手ではないが、より「芸達者」だ。
あらゆる台詞と所作に関してこまごま決まっているらしい伝統の「型」を身につけ、
さらにその「型」は歌や踊りをこなすことにも及ぶ。
役者の多くは特別な家に生まれた運命を背負って、
幼少の折から厳しい修行を積んできたのだろう。

顔の向き、表情、手先足先まで神経の行き渡った身体の動きに惚れ惚れし、
緩急抑揚豊かな台詞回しに日本語の美しさを再認識したのであった。

オペラも歌舞伎もわざわざ舞台で演じられるからには、
筋書きはドラマチック、感情も動作も大袈裟に強調されるが、
歌舞伎の台本のほうが、感情表現がきめ細やかで説得力がある。
日本人だから、なおのこと、実感共感できるのかもしれないが。

舞台は横に長く、前後は近く感じられる。
これで2,000人も入れるなんてよくできた劇場だ。
休憩時間にはお弁当を買う人、お土産を買う人がうろうろと行き交い、
ロビーのところどころにある椅子で食べたり飲んだり。
通路や階段が狭いのは不便かもしれないが、どうもだだっ広くてがらんとした感じの
国立劇場よりも賑々しくて味わいがある。
ほかのお客の迷惑にならなければ、客席でも飲食可というユルさにほっとする。

2つから3つの演目が並んで、トータルでは夕方4時半から夜の9時まで
と結構長いが、一つ一つの芝居は短いので、そこそこ展開が早くていい。

イヤホンガイドなどもあって私のような初心者は助かる。
聞きとりにくい長唄の歌詞や重要な台詞のフォローが入り、
玉三郎がつれない言葉を発すると
「花魁がそれを言っちゃあ、お終いですね」
なんて囁いてくれたりする。
ほかに、配役それぞれのカツラや着物の説明から舞台装置や小道具の意味や、
時代背景、地理的な補足説明なども入るので、なんだかお勉強になる。

友人達の解説とイヤホンガイドに助けられて、
ほとんど予備知識のない私でもそれなりに味わえた。

一、壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)
義太夫の曲に乗せて演じられる夫婦愛の物語。
盲目の座頭と器量良しの妻の感情の動きが見事に描かれる。
二人の一途な思いが通じて、観音様が助けてくださるハッピーエンド。
おめでたいと言ってしまえばそれまでなのだが、
あれほど自分に絶望して妻の浮気を疑ったり身投げしてしまったりした
座頭が、目が見えるようになった瞬間の驚き!喜び!!感謝ーーm(__)m
歓喜に踊るようにして妻と連れだって下山する姿に思わず涙。。よかったねえ。
一途さは万人の心を打ち、神や仏をも動かすらしい。後味のいい芝居だ。

二、高坏(たかつき)
これはもう楽しさいっぱいのコミカルなレビューだ。
舞台の奥に歌い手たち、お囃子(?)の奏者たちがずらりと並んで壮観。
その前で太郎冠者、次郎冠者、大名が珍妙な会話と滑稽な踊りを見せ、
花見の華やかな雰囲気がさらに明るくなる。
とにかく勘三郎さん演じる次郎冠者のやんちゃぶりに
舞台も客席も巻き込まれてアーラ楽し♪という感じ。
それにしても、高下駄のタップダンスとは! 芸の道も幅が広い。

三、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
これぞ本日のメイン。なかなか見応えのある凄惨なドラマだった。
人間あまり恥をかかしちゃいけません。
人間あまり我慢しちゃいけません。
本当にどうしようもなかったんでしょうか?
でも、それがドラマってもんですね。。

勘三郎さん、今度は顔に痘痕のある田舎の商人、佐野次郎左衛門。
人の良さと自信のなさからいいようにあしらわれ、ぐっとこらえたけれど、
衆目の中で恥をかかされた恨みがついに悲劇を招く・・・という役柄。
本当はカッコいい勘三郎さんなのに、こんな役も味があってホントに達者です。
花魁の間夫役の仁左衛門さんの色男ぶり。これが恋敵じゃかないませんね。
そして、花魁八ツ橋の玉三郎!!ナマ玉三郎初めて見ました!!!
聞きしに勝る美しさです。張り合おうなんて露ほども思いません。
敢えて言うも愚かですが完全に負けです、これは。
ほかの花魁や大勢登場したほかの吉原関係者も、みな男が演じているとは
とても思えない美しさだったが、そんな彼らとは格が違う。
真っ白な肌にこの世ならぬ気品をたたえた妖艶さなのであった。

初めて吉原に入ってみた田舎者の次郎左衛門は、花魁道中の八ツ橋の姿に
口をポカンと開けて放心状態。そんな「素人」に八ツ橋はふと振り向いて
微笑の一瞥を投げる。なんて罪な女だ!
完全に魂を抜かれたようになる次郎左衛門は、観客席を代弁する者と言える。

というわけで、三者ともぴったりのはまり役だった。

そもそも、八ツ橋の美貌が諸悪の根源。
だいたい過剰な美しさはろくな結果をもたらさない。
でも、美人だから何でも許されてしまうのだ。

最期のシーンは、ドンホセに刺されるカルメンのようだが、
その倒れ方がまた見事だった。すぐにドサッと倒れたりしない。
一瞬時間が止まったかのように立ち尽くす後ろ姿。
と、膝をついて首がのけぞり、どこまでも後屈して後屈して、
ええーっ腰が折れそう…!というぎりぎりのところで崩折れるのである。

いや~大変な身体の使い方です。
以前にNHKの「プロフェッショナルの流儀」に出てきた玉三郎さんが
終演後マッサージしてもらっているシーンを思い出した。
そりゃあもう腰痛にもなるというもんでしょう。

脇役陣もみな芸達者で、悪だくみする釣鐘の権八とか、
立花屋のおかみとか、佐野の商売仲間の絹商人達とか幇間の二人とか、
それぞれいい味出してて、吉原の花街をリアルに感じさせる。
そういう人達まできめ細かく性格付けや動きの演出がされていて
本当によくできた芝居だと感心した。

そうやって歌舞伎は、浮世の義理人情、恋情、体面といった日本社会の
人間関係のしがらみとそこでもがく人々の喜怒哀楽を描いているんですねー。
うーん、確かに日本が誇るべき伝統文化である。
ユネスコの世界無形遺産にも登録されている。

さらに歌舞伎の魅力にハマっていく可能性大だが、
(そんな時間もお金も足りないのだが)
幸か不幸か、歌舞伎座は四月の興業終了後、休館となる。
新築工事は2013年完成予定。
「これまでの歌舞伎座の外観のデザインの歴史を踏まえつつ、
銀座という魅力あふれる街並みに調和する新たな建物にしたい」とのことだが、
さて、新生歌舞伎座はどんな建物になるのでしょう。

今の歌舞伎座がなくなる前に見に来ることができてよかった。
終電の下り新幹線の中からメールが来た。
「いや、良かったね!またご一緒しましょう」
友に感謝しよう。

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